川島ゼミ 観劇レポート(2025年6月期)

舞台『近松忠臣蔵』
2025年6月12日14:00/IMMシアター
岡山みる


(https://chikamatsu-stage.jp/)
「忠臣蔵」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。私が最初に思い描いたのは、復讐に燃える武士たちの悲劇的な物語である。個人的には歴史的な作品で難しいイメージがあり、『近松忠臣蔵』というタイトルを目にした時は正直構えていたが、そんな予想は、開演の第一声でひっくり返された。暗転からのオープニング、まず響いたのは力強いバンドの生演奏である。ギターとドラムの音に乗せて登場人物が「今日は思いっきり声出していこうぜ!」と観客に呼びかける。レスポンスを求められて、知らない曲を見様見真似で歌い出したあの瞬間から、「この舞台は楽しい!」と反射的に感じた。
物語は、播州赤穂藩の筆頭家老・大石内蔵助と、戯作者・近松門左衛門の友情を軸に進む。赤穂塩の専売とその販路開拓事業に励んだ、大石良雄と近松門左衛門はその後、大石は播州赤穂藩の筆頭家老、一方、近松は武士を捨てて戯作者となり、二人は日々その友情を深めていた。そして時を同じくして、江戸城内、勅使饗応役を命じられた赤穂藩藩主の浅野内匠頭長矩は、教育係の吉良上野介義央からイジメともとれる厳しい指導を受けており、吉良のイジメに耐えきれなくなった浅野は、江戸城で良に斬りつける刃傷事件を起こす。いわゆる「赤穂事件」の発端である。事件を起こした浅野は即日切腹、赤穂藩は改易に処され、筆頭家老である大石は、「主君の仇討ち」という重荷を背負わされることになる。そして。本作は「忠臣蔵」を題材としながら、討ち入りの是非ではなく、その裏にあった物語を描いている作品である。
演じるのは、大石良雄役に佐藤流司、近松門左衛門役に橋本良亮。稽古場のレポートで知ったが、彼らの間には実際にも信頼関係があるそうで、その自然な空気感が舞台上でも心地よく伝わってきた。セリフの掛け合いはお芝居という感じよりもナチュラルな会話のようでフランクに感じ、特に前半部分はアドリブばかりで笑いを交えていた。だがそれが本当に大石と近松の友情に感じられ、二人で人生を歩んできたような説得力があった。ただ、私自身はどちらかのファンというわけではないので、ファン向けっぽいノリに少し置いていかれる瞬間があったと感じた。
この舞台で私が何より感動したのは、音楽の力である。舞台後方にはバンドが常設されており、ドラム、ギター&ボーカル、ベース、金管といった編成で、全編を生演奏していた。鈴木勝秀さんの演出と音楽監督・大嶋吾郎さんのコンビによる音楽たちは、ロックをベースにしながらも、時にジャズ風であったり、時に日本の祭りのようであったりと多彩であり、また、歌唱以外の全てのBGMや効果音もバンドが担っており、より「生感」が感じられ舞台というよりライブステージに来たような体感があった。
そして物語の最後、舞台は死後の世界のような空間へと変化する。そこでは既にこの世を去った浅野内匠頭長矩と、あとからやってきた吉良上野介義央。二人はまるで旧友のように並び、あたたかく語り合う。憎み合っていたはずの彼らが、何事もなかったように天国”のような場所で穏やかに過ごす。だが、吉良がどうやって死んだのかは劇中で語られない。実際に大石は「仇討ちなんかしたくない」と言っており、結局仇討ちを成し遂げたのか、それとも別の形で物語が終わったのか―それは観客に委ねられている。
さらに観劇し終わってしばらくして気づいたが、この“死後の出会い”が現実だったのか、それとも近松門左衛門が創作したフィクションのラストだったのかも定かではないように思えた。しかし、だからこそおもしろいのだ。正義と復讐、生と死、現実と虚構、それらが重なり合うことで、この舞台は難しい歴史劇を超えた面白さを感じさせてくれたと思った。
この舞台を観ながら何度も思ったのは、「声を出せる」ことの意味と喜びだ。観客に求められるレスポンス、そして“物語に参加している”という実感、これらはコロナ禍を経た今だからこそ、いっそう心に響く。
『近松忠臣蔵』は伝統や歴史の枠にとらわれない、まさに“いま”観るべきロックな舞台だった。

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