調査・研究
福井県美浜町
三方五湖と若狭湾に面して隣接している美浜町の日向・早瀬・久々子地区は、中世以来生業をめぐる相論が頻発していた地域です。特に、若狭湾に突き出た常神半島の東側は、さまざまな魚が回遊する良質の漁場となっていたため、漁場の所属をめぐる紛争は絶えなかったようです。本研究では、そうした生業をめぐる人びとの対立や交流の実像をできる限り復元するため、この地域に現存する古文書の写真撮影と同時に、フィールドワークや生業・祭礼・村構造等に関する聞き取り調査と石造物調査を実施しています。
また、常神半島の東側にかつて戦国時代までは存在していた“幻の村・くるみ浦”の調査も行っています。くるみ浦には、住居遺構や石造物などが現存していますが、おそらくは各所に点在していた石造物を並べて“墓じまい”をしている様子から考えると、計画的な移住だったことが推測されます。
福井県南越前町
室町時代、越前国の中止であった府中(武生)と日本海、そして敦賀をつなぐ結節点に存在し、中世から多くの村人が馬借を営んでいた河野・今泉では、西街道の山中に居住する馬借中との間に商品取引や流通路をめぐる争いを抱えていました。また、河野は山を隔てて隣接する赤萩と舟寄山の境界争いを長く行ってきました。そうした争いの頻発は、結果としてこの地域に多くの古文書を現在に伝えることになっています。本研究では、まだ未撮影の古文書も多く現存する当該地域において、できる限りの古文書の全点写真撮影を実施し、目録に整理する作業を進めています。
福井県小浜市
小浜市内外海地区には、入り組んだ地形に点在する海村に多くの古文書が伝来され、特に日本中世史では古くから調査・研究が進められてきたところです。なかでも、本調査は鎌倉時代以来の古文書が現存する矢代・志積と、静かな小浜湾に面し、近代以降には牡蠣の養殖が盛んとなっている仏谷に注目し、古文書の写真撮影とともに、フィールドワーク・聞き取り調査、石造物調査を実施しています。
また、矢代・志積は南接する山を経て向こう側にある宮川地区の村々に出作地を持つなど、山を越えた交流も盛んだったようです。海村は、自村の生業だけでは生活できないため、山や高地を持つ村や町場を定期的に訪れ、必要物資を入手していました。そうした山を越える交流や対立についても本研究ではできる限り復元していきます。
その他、内外海地区の泊には、転石で作られた石造物が多く現存しています。景勝地として知られる蘇洞門の近くの碁石ヶ浜から花崗岩の転石を運び、泊で加工して使用していたことがうかがわれますが、その石がどのあたりに流通していたのかについても調査しているところです。
文書調査
本研究では、若狭湾沿岸を中心に、越前・若狭に関係する古文書の所在確認とデジタル写真撮影を進めています。越前・若狭に現存ずる貴重な古文書は、所蔵者の移動や市町村合併等により、年々失われています。また、これまでの調査で撮影してきた写真データの多くは、フィルムやマイクロフィルムで撮影されているため、その劣化も懸念されています。貴重な財産である古文書を構成に伝えていくために、東京大学史料編纂所や福井県教育委員会、福井県内の博物館等の施設と協力し、現在デジタルカメラでの撮影を進めています。本研究で調査・撮影した内容・成果については、ご所蔵者のご承諾を得た上で、東京大学史料編纂所・福井県文書館等の史料調査・研究機関と協同しながら公開していく予定です。