研究概要

この絵図は、江戸時代の若狭湾沿岸の海村地域の諸浦を記載した寛文5年(1665)の「若狭湾漁場図」です(上の図は、『福井県史』資料編別巻絵図地図所載の絵図写真からトレースしたもの)。本絵図は、漁業の方法や、紛争の争点を理解するための手がかりとなるばかりでなく、若狭湾沿岸海村に居住する人びとが自分たちを取り巻く世界をどのように認識していたのかを知るための素材ともなっています。本研究では、絵図にみられるような、江戸時代前期には形作られていた若狭湾の海村世界が、海村の複合的な生業を通じて、中世から近世にかけてどのように形成され、変遷したのかという問題について解明することを目的の一つとしています。

また、若狭湾沿岸の海村は、寛喜3(1231)年の年紀をもつ古文書を筆頭に、中世から近代までの古文書が数十万点現存するという、他に例をみない地域でもあります。なかでも、中世・近世の古文書は、生業・産物や貢租、紛争に関わる史料が大半を占めるが、膨大な古文書を現在まで守り伝えてきた事実には、中世・近世の村人たちの強い意思が込められていると考えることができます。本研究では、このように膨大な古文書が何のために残され、どのように使われてきたのかという問題について検討することをもう一つの目的としています。

海村を含む村研究は、現在、日本中世史と日本近世史とのあいだで別々に研究が進められている状況にあります。そのため本研究では、中世から近世を通じて海村の生業の特徴を追究できる若狭湾沿岸の海村を素材に、中世史と近世史の研究者が、現地における古文書調査を行いながら、共同して研究を推進していきます。また本研究では、海村の生業や村構造、および村々の交流の実像をより立体的に把握するために、文献史学のほか、歴史地理学・歴史民俗学の分野の研究者とも共同して研究を推進していきます。生業の有り様を理解するには、漁場図をはじめとして、海流や海底および陸地の地形状況を含めた景観を復元し、かつ生業に伴う習俗等を調査する必要があるためでし。歴史学だけではなく、他の学問分野と連携し、それぞれの研究方法を接合することにより、若狭湾沿岸の海村地域を多面的に復元していきます。

また本研究では、中世史と近世史との間で古文書の調査・撮影・蓄積・公開の方法に断絶がある現状を打開し、撮影や目録およびテキストデータの作成、画像の公開のための統一的な方法を提示することを試みていきます。以下に図示したように、本研究において作成した画像データやテキストデータ、目録については、東京大学史料編纂所が現在公開している各種データベースに蓄積しつつ、福井県文書館と連携し、両機関での公開を可能にする仕組みを構築していきます。さらに本研究では、古文書の所在や地名・地形情報、および聞き取り調査による景観復元や、民俗調査によって得られた文字資料や映像・音声等の情報をすべて地図上に表示し、視覚的に利用できるようにするための蓄積・公開方法を、福井県立歴史博物館や若狭歴史博物館等と連携して構築していきます。また、調査の成果や分析の基礎データから作られる図表は、博物館等の展示のみならず、社会教育や学校教育の現場でも利用できる地域資源となります。