白菊
川島ゼミ 観劇レポート(2024年12月期)
新国立劇場『テーバイ』
11月8日(金)18:30公演/新国立劇場 小劇場
「ギリシャ悲劇らしさを排する方向に」
公式ホームページから閲覧できるメイキング映像にて語られたこのキーワード。古くから様々な演出がなされているギリシャ悲劇の新しい解釈とは。
公式ホームページから閲覧できるメイキング映像にて語られたこのキーワード。古くから様々な演出がなされているギリシャ悲劇の新しい解釈とは。
本作品は『オイディプス王』、『コロノスのオイディプス』、『アンティゴネ』の三幕構成になっている。上演時間三時間ほどの中に三つのギリシャ悲劇を凝縮した内容となっていた。
そして『テーバイ』は、本編だけでなく舞台稽古から一風変わった方法をとっている。新国立劇場が企画する「こつこつプロジェクト」に基づいて舞台稽古が進められていく。
それは、通例であれば一か月強の稽古で本番に臨むところを、一年間という長い稽古期間を設けて作品とみっちり向き合ってもらう時間を作る、というものである。長い時間作品や役柄と向き合うことでより理解が深まり、トライアンドエラーを繰り返してより良いものが作り上げられるようにという目的の下、このプロジェクトは始動したのである。
そんなに時間をかけて作り上げられた舞台は一体どのようなものになっているのか。そんな一つの疑問を抱えて私は観劇に臨んだ。そして結論から述べると、この舞台作品は「その発想は自分では考えつかなかった」の連続だった。
本編が始まり最初に私が驚いた点は、役者の衣装が近現代風のファッションだったことである。「あれ?私はギリシャ悲劇を見に来たのでは?」という考えが一瞬頭をよぎったが紛れもなくギリシャ悲劇の作品である。私たちとはまったく違う時代を生きて、どこか遠い存在に思えていたはずの彼らがいきなり現代によみがえり、現代を生きる私たちと同じような価値観でものを語っているような、そんな感覚に陥った。
さらに本編ではコロスが一切出てこない。コロスとは古代ギリシア劇の合唱隊で、登場人物の感情やストーリーを代弁する重要な構成要素だった、はずである。それらを一切無くした舞台上では、オイディプス王やアンティゴネをはじめとした登場人物たちがこれまで見たことのない「直接的な対話劇」を繰り広げていた。オイディプス王を追求する場面では登場人物同士の掛け合いがさながら刑事ドラマのような緊迫感があり、オイディプス王が自身の行く末を思いやるシーンでは本人によって語られる言葉や感情が観ているこちら側にもひしひしと伝わってきた。また大道具も全体的に少なく場面によっては机と椅子、机の上の紙や羽ペンなどの小物のみといった簡素な配置で、この時私は自然と舞台全体ではなく“人”に視線が行くようになっていた。そしてこの“人”に注意を向けることこそ、これまでのギリシャ悲劇で大規模な音楽やコロスによって隠れてしまっていた根本的な部分を見せるための、演出家が仕組んだ観客への仕掛けなのではないかと考えた。
このようにいくつもの斬新なアイデアで一風変わったギリシャ悲劇を演じきった『テーバイ』だが、やはり三時間に三幕詰め込むと一つのお話が短くなるので、次の機会があればそれぞれの物語単体でこの舞台作品を観てみたいと感じた