川島ゼミ 観劇レポート(2023年12月期)

『笑福亭鶴瓶落語会』
12月3日(日)18:30/サンシャイン劇場
五十歩ヒャッホゥ
落語とはただ噺を披露する場ではなく、噺家の魂を感じ取る場であると私は捉えている。笑福亭鶴瓶落語会を鑑賞し、彼の落語に対する姿勢、また彼の主張について考えた。
私は開演後、緞帳が上がり着物姿の鶴瓶が登場し、そしてそのまま羽織を脱いで落語が始まると想像していた。しかし鶴瓶は開演後、着物ではなく私服で登場しフリートークを始めたのだ。砕けた内容のトークで時に客席を巻き込み、初めて彼を見たであろう子どもから常連客であろうお年寄りまで虜にし、笑いを起こしていた。私はこれについて、正装ではなくあえて私服で客を迎え入れることにより親しみを持たせ、舞台と客席の心の距離を縮めているのではないかと考えた。落語家・笑福亭鶴瓶ではなくまるで親戚のおじさんと話しているかのような温かな空気に包まれた会場は、今まで私が落語を見に行くときに感じていた若年層特有の居心地の悪さを微塵も感じさせなかった。また、開演前に渡されたパンフレットには鶴瓶が以前主演を務めたドラマの脚本家から「鶴瓶さんは出会う全ての人との縁を大切にし、縁を結ぶための努力をしている人」というメッセージがエピソードと共に寄せられていた。鶴瓶は観客までもご縁と考えており、落語を通して、観客とのご縁を結ぶための努力を重ねているのだろうと考えた。
次に、彼が落語を通して主張したいことについて考える。鶴瓶は今回の演目に、下積み時代の鶴瓶と師匠の6代目笑福亭松鶴とのやりとりにアレンジした『かんしゃく』と、落語演目の中では定番の『芝浜』を選んだ。『芝浜』とは、腕のいい魚屋だが酒に溺れ働かなくなってしまった勝五郎と、勝五郎に真面目に働いてほしいと願う女房による人情噺で、最終的に女房の粋な嘘によって勝五郎は真面目に働くようになるという物語だ。鶴瓶独自の切り口である、全くもって駄目な人間であったところから目が覚めて猛省し真面目に働くようになる勝五郎の変化を切り取った演技は、思わず感情移入してしまうものだった。
この公演の演目に『芝浜』を選んだ理由について、鶴瓶は「生きている間、人間は何度でもやり直すことができる。死んでしまえば終わり。生きてさえいればいい。それを皆様にお伝えしたい。」と話していた。鶴瓶は2023年2月に、1番弟子であり愛弟子であった笑福亭笑瓶を亡くした。笑瓶とは5歳差の師弟関係で、親友のような間柄だったという。フリートークと演目の間に流れた幕間映像でも笑瓶との仲睦まじい様子が映されていた。終演後、ロビーでは鶴瓶ではなく笑瓶の落語が収録されたCDが販売されていた。公演中、鶴瓶は「彼の魂がこもった落語を、死なせたくない。是非皆様に聞いてほしい。」と語っていた。鶴瓶は本公演で観客に笑いを届けると同時に、全ての人とのご縁を結ぶきっかけを作る姿勢を見せ、そして例え誰かの記憶の中だとしても生きていくことそのものに価値があるのだと主張していたのだ。

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