川島ゼミ 観劇レポート(2023年11月期)

劇団四季ファミリーミュージカル『エルコスの祈り』
8月6日(日)15:00/自由劇場
彩樹
エルコスの祈り』は、1984年に劇団四季のファミリーミュージカルとして『エルリック・コスモスの239時間』の題で初演され、その後幾度もの再演を重ねている作品である。今作の舞台となるユートピア学園では、学校や親から見放された子ども達の個性を奪う厳しい管理教育を行っていた。ある日、子ども達に豊かな心を取り戻すためストーン博士が開発したアンドロイド・エスパー「エルリック・コスモス」、通称エルコスが学園にやって来る。子ども達の自由な個性や夢を引き出していくエルコスに子ども達は夢中になるが、ただ一人、幼い頃から機械に囲まれて育ったジョンはエルコスを信用していなかった。一方、エルコスに仕事を奪われたと憤慨する教師のダニエラ達はジョンを利用し、エルコスを陥れることを企むようになる。
作品の冒頭で、我々はユートピア学園の厳しい教育を目撃することとなる。学園の子ども達は劇中で「落ちこぼれ」「社会からはみ出した」と自他共に称しているが、その理由を聞く限りとてもそのようには思えなかった。ネットの掲示板で悪口を書かれ不登校になったり、自作の歌を父にけなされ怒りのままに手を出したり、家庭環境に耐えられず夜の街に出たり、その経緯の全てが、子ども達がありのままの姿を受け入れてもらえない環境に置かれていたことが要因であるように感じた。ただでさえ不幸な状況であったにもかかわらず、より個性をもつことが許されないユートピア学園に放り込まれた子ども達の息苦しさが、軍隊のように直線的で激しい動き、強ばった表情から醸し出されていた。
しかし劇中では、学園の理事長が問題児と決めつけられた子ども達を何とかしようと、世のため人のために学園を創始したと説明し、ダニエラ達は子ども達をしつけるのが快感だと語っている場面がある。このことからダニエラ達は勿論、あくまで善意を主張している理事長も間違っていると思わざるを得なかった。理事長らの考えは、社会を動かす一員となるために、人間のもつ個性を活かすことよりも命令や規則に従う、いわば敷かれたレールに沿うことを強いるのが正しいというものであろう。しかしそれでは人生を常に緊張しながら生きねばならず、冒頭で子ども達が歌うように「夢も希望もやる気さえも何もなくなる」ばかりではないか。そんな中ストーン博士の願いを託されてやって来たエルコスは、教師達が並べる子ども達の欠点を前向きに言い換え、彼らに「誰でも必ず良いものをもっている」と人がもつ個性の素晴らしさを優しく教える。それを受けた子ども達が見せる動きは、堅いものから優雅でしなやかなものに変わっていた。規則を守ることも確かに必要ではあるが、抑圧されず自分らしさを解放してこそ、人間は人間らしくのびのびと生きられるのだと、観客である我々もエルコスから教わることになった。
また、本作では機械のエルコス対人間の教師達という構図も描かれている。エルコスが教師達に勝っているのは、あたたかい心があるという点ではないかと私は考えた。本来であれば心とは人間ならではのものであるが、それを持ち合わせるエルコスの姿勢からは、あたたかい心があってこその人間なのだとまた我々に語りかけているように感じられた。
このように『エルコスの祈り』では、豊かな心と個性をもってこそ人間はその価値を成す、という人間のあるべき姿を訴えかける作品であると感じた。またこれらのメッセージは、児童を主な対象としたファミリーミュージカルでも一切妥協しない劇団四季ならではのパフォーマンスと共に届けられるからこそ、優しくも重厚に観客へ通じられるのだと考えた。それぞれの個性や多様性を尊重しようと叫ばれるようになった中でも、周囲に足並みを揃えなければ結局は蔑まれたり勝手に不安視されてしまう現代社会に、長く愛される本作に込められた「祈り」を今こそ多くの人々へ伝えていくべきではないだろうか。

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