ことば
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「また党派には保守党と自由党と徒党のようなものがあって、双方負けず劣らず鎬を削って争うているという。何の事だ、太平無事の天下に政治上のけんかをしているという。サア分からない。コリャ大変なことだ、何をしているのか知らん。少しも考えのつこうはずがない。あの人とこの人とは敵だなんというて、同じテーブルで酒を飲んで飯を食っている。少しも分からない。ソレがほぼ分かるようになろうというまでには骨の折れた話で、そのいわれ因縁が少しずつ分かるようになって来て、入り組んだ事柄になると五日も十日もかかってやっと胸に落ちるというようなわけで、ソレが今度洋行の利益でした。」福沢諭吉『福翁自伝』土橋俊一校訂・校注、講談社学術文庫、2010年、144頁以下。
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「志賀直哉は、言語を、スウィッチによって、右に切り換えれば日本語、左に切り替えればフランス語というように、切り換えのきく装置とでも見ているかのようです。「文化が進む」という場合の「文化」とは、内実何なのか。おそらく彼は『源氏物語』など読んだことがないのでしょう。志賀直哉には「世界」もなく、「社会」もなく、「文明」もありはしなかった。それを「小説の神様」としたのは大正期・昭和前期の日本人の世界把握の底の浅さのあらわれであるでしょう。
では志賀直哉は本質的に何だったのか。「写生文の職人」だったのではないか。名工でも職人は世界のことなど考えに入れない。たしかに彼は明晰な文章を書いた。しかし、文章が明晰に書けることと、何を書き、何を扱うかとは、別のことでありうるのですね。だから、文章の書き方だけを考えていても、そこにはおのずから限界があることも心得ておく必要があるということになります。」大野晋『日本語練習帳』、岩波新書、1999年、109頁以下。
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「極東をめがけて来た欧羅巴人の中には、稀に許されて内地に深く進んだものもないではない。その中にはまた、日本の社会を観察して、かなり手厳しい意見を発表したものもないではない。欧羅巴文明と東洋文明とを比較して、その間の主なる区別は一つであるとなし、前者は虚偽を一般に排斥するも、後者は公然一般にこれを承認する。日本人や支那人にあっては最も著しい虚言が発覚しても恥辱とはせられない、かくまで信用の行わるることの少ないこの社会に、いかにして人生における種々の関係が保たるるかは、解しがたい極みであると言うものがある。日本人の道徳、及び国民生活の基礎に関する思想は全く欧羅巴人のそれと異なっている、その婦人身売りの汚辱から一朝にして純潔な結婚生活に帰るようなことは、日本には徳と不徳との間に何らの区劃もないかと疑わせると言うものがある。」島崎藤村『夜明け前』第二部(上)、岩波文庫、2003年改版、82頁以下。