| 辨 |
ケシ属 Papaver(罌粟屬)の花卉については、ケシを見よ。 |
| 訓 |
漢名 虞美人の由来については、誌を見よ。
英名の Field poppy,Corn poppy は、畑に普通の雑草であることから。Cup poppy は、花の形から。
なお、フランス語名はコクリコ Coquelicot。 |
| 説 |
ヨーロッパ中部原産。麻薬成分は含まない。
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| 日本には、宝永(1704-1711)年間に渡来。 |
| こんにち、花壇・鉢植えなどに栽培観賞されるのは、園芸品種シャーレーポピー Shirley poppy。 |
| 誌 |
中国では、花・果実・全草を薬用にする。 |
秦末の大乱のとき、楚の項羽と漢の劉邦は 天下をかけて戦った。202B.C.、愛妾虞美人を連れた項羽は、劉邦軍により垓下(安徽省霊壁県)に包囲され、「四面楚歌」するを聞き、観念して決別の宴を催した。項羽は「垓下の歌」を歌い、虞美人らはみな泣いて別れを告げた。
項王(項羽)の軍、垓下に壁す。兵少く 食尽く。漢の軍及び諸侯の兵 之を囲むこと数重。夜、漢の軍の 四面に皆楚歌するを聞き、項王 乃ち大いに驚きて曰く、「漢、皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや」と。項王 則ち夜起ちて帳中に飲す。美人あり、名は虞、常に幸せられて従ふ。駿馬あり、名は騅、常に之に騎す。是に於て、項王乃ち悲歌慷慨し、自ら詩を為りて曰く、
力は山を抜き 気は世を蓋ふ。時 利あらず 騅 逝かず。
騅逝かず 奈何(いかに)かすべき。虞や虞や 若(なんじ)を奈何せん。
と。歌ふこと数闋(すうけつ)。美人之に和す。項王、泣(なみだ)数行下る。左右皆泣き、能く仰ぎ視るもの莫し。(司馬遷『史記』項羽本紀) |
伝説だが、このとき虞は次のように和したという。
漢兵 已に地を略し、四方 楚歌の声。
大王 意気尽く、賎妾 何ぞ生を聊(やす)んぜん。(『楚漢春秋』) |
虞が自殺したあとに、その鮮血から真紅の花がさいた。世の人は、それを虞美人草と呼んだという。
宋の曾鞏の「虞美人草」に、
・・・
三軍散じ尽きて旌旗倒れ、玉帳の佳人座中に老ゆ。
香魂夜剣光を逐ふて飛び、青血化して原上の草と為る。
・・・ |
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| 日本では、『花壇地錦抄』(1695)巻四・五「草花 春之部」に、「美人草 末。草立・花形、けしのことく、小りん。くれない八重・ひとへ、白八重・一重あり」と。 |
昨日君がありしところにいまは赤く鏡にうつり虞美人草(ひなげし)のさく
ひなげしのあかき五月にせめてわれ君刺し殺し死ぬるべかりき
(北原白秋『桐の花』1913)
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