| 辨 |
ヤブツバキには、次のような変種・品種がある。
シロバナヤマツバキ(シロヤブツバキ) f. leucantha
ユキバタツバキ var. intermedia
リンゴツバキ(オオミツバキ・ヤマシマツバキ) var. macrocarpa
また、ユキツバキ C. rusticana を、その亜種 ssp. rusticana とすることがある。 |
| ツバキ属 Camellia(山茶屬)については、ツバキ属を見よ。 |
| 訓 |
和名にかかわるツバキ・椿・海石榴については、つばきの訓を見よ。 |
| 説 |
日本(本州・四国・九州)・琉球・臺灣・中国(山東・江西・四川省)に分布、各地で栽培。 |
| 誌 |
つばきの誌も参照せよ。 |
材は堅く目がつんでおり、各種の細工物に用いる。また薪炭材とし、灰は漆器の研磨に用いる。茎葉の灰は山灰と呼び、釉薬や紫染の媒染剤。
種子から採った油は食用・工業用に用いる。 |
| 中国では、根・花を薬用にする。 |
| 日本では、縄文時代から生活材として用いており、鳥浜貝塚(福井県三方)から石斧の柄や櫛が出土している。 |
『万葉集』巻12/3101には、
紫は 灰指す物ぞ
海石榴市(つばいち)の 八十(やそ)の街(ちまた)に あひし児(こ)や誰(たれ)
とあり、当時ツバキの灰をムラサキの根で紫色を染めるときの媒染材として用いたことが知られる。つばいちについては、つばきの誌を見よ。 |
『古事記』下巻に、雄略天皇の大后の歌として、
やまとの このたけち(高市)に こだか(小高)る いち(市)のつかさ(高処)
にいなへや(新嘗屋)に お(生)ひたてる はびろ(葉広) ゆつ(五百箇)まつばき
そがは(葉)の ひろ(広)りいま(坐)し そのはな(花)のて(照)りいます
たかひか(高光)る ひ(日)のみこ(御子)に とよみき(豊酒) たてまつ(献)らせ
ことの かたりごと(語言)も こをば
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万葉時代、ツバキは春の代表する花の一。巨瀬(奈良県南葛城郡葛村古瀬)はツバキの名所であった。
巨勢(こせ)山の つらつら椿 つらつらに
見つつ思(しの)ばな こせの春野を(1/54,坂門人足)
河の上(へ)の つらつら椿 つらつらに
見れどもあかず 巨瀬の春野は(1/56,春日蔵首老)
三諸は 人の守(も)る山
本邊(もとべ)は 馬酔木花開き 末邊は 椿花開く
うらぐはし山そ 泣く児守る山 (13/3222,読人知らず)
足ひきの 山海石榴(やまつばき)開(さ)く 八峰(やつを)越え
鹿(しし)待つ君が いはひ(斎)妻かも (7/1262,読人知らず)
奥山の 八峰の海石榴 つばらかに 今日はくら(暮)さね 大夫(ますらを)の徒(とも)
(19/4152,大伴家持)
・・・ 八峯には 霞たなびき 谿へには 海石榴花さき ・・・ (19/4177,大伴家持)
またツバキは庭にも植えられた。
あしひきの やつお(八峰)のつばき(都婆吉) つらつらに
み(見)ともあ(飽)かめや う(植)ゑてけるきみ
(20/4481,大伴家持が大原真人今城の宅に宴して
「植えたる椿に属(つ)けて作れり」)
わがかど(門)の かたやまつばき(都婆伎) まことなれ(汝)
わがて(手)ふ(触)れなな つち(土)にお(落)ちもかも (20/4418,物部広足)
吾妹子を 早見浜風 倭(やまと)なる 吾がまつ椿 吹かざるなゆめ (1/73,長皇子)
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江戸時代には、一般にヤブツバキの栽培が広がり、多くの観賞用品種が作られた。
安楽庵策伝『百椿集』(1630)には100の、伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)には229の、『椿花図譜』(元禄(1688-1704)年間)には600以上の、品種が載る。 |
打(うち)よりて花入(はないれ)探れんめ(梅)つばき (芭蕉,1644-1694)
うぐひすの笠おとしたる椿哉
(同,『猿蓑』1691。うぐいすの笠は、梅の花笠。ウメの項の『古今集』を見よ)
葉にそむく椿や花のよそ心 (同)
古井戸の暗きに落(おつ)る椿哉 (蕪村,1716-1783)
椿落て昨日の雨をこぼしけり (同)
はらはらと霰ふり過(すぐ)る椿哉 (同)
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