ささんちょう ササン朝 Sassanian
古代西アジアのイランの王朝。224年にパルティアを滅ぼして建国し、651年にイスラムによって滅ぼされた。
一族の祖ササンは、パールス(今日のファルス Fars、ラテン語名はペルシア Persia)地方イスタフルのアナーヒター神殿祭司であり、王朝の創業はこの地方から興ったので、ササン朝ペルシアと呼ぶ。
ササンの孫アルダシール一世のとき、メソポタミアに進出し、224年にアルサケス朝のアルタバヌス四世を敗死させ、新帝国を打ち建てた。首都はクテシフォン。
【年表】
| SASSANIAN PERSIA | 224-651 | ||
| アルダシール一世 Ardashir I |
224-241 | パルティアを破り帝国を建設、首都はクテシフォン。 ○Palace with Bas-relief in Firuzabad |
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| シャープール一世 Shapur I |
241-272 | 西方では、ローマと和戦を繰り返し、260にはローマ皇帝ウァレリアヌスをエデッサにおいて捕虜とする。 東方では、クシャン朝を併合し、シルダリヤ(ヤクサルテス河)流域及びインド北西部に進出。 文化面では、寛容な宗教政策を採り、 Mani (216‐276/277)を厚遇し、マニ教広がる。 ○Palace(Taq-i-Kisra) in Ctesiphon ○Palace A & B with Mosaic Pavement in Bishapur |
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| ホルミズド一世 Hormizd I |
272-273 | ||
| バフラム一世 Bahram I |
273-276 | ○Votive Monument in Bishapur | |
| バフラム二世 Bahram II |
276-293 | ゾロアスター教を国教とし、異教を禁じる。 | |
| バフラム三世 Bahram III |
293 | 王位継承をめぐり、国内混乱。 | |
| ナルセー Narsah |
293-302 | ローマに敗退。 | |
| late 3rd to early 4th Century | ○Rock Reliefs at Bishapur and Naqsh-i-Rustam, including Triumph & Investiture of the Sassanian Kings | ||
| ホルミズド二世 Hormizd II |
302-309 | ||
| シャープール二世 Shapur II |
309-379 | 337、ローのと開戦。 339、キリスト教の迫害、開始さる。 363、ローマ皇帝ユリアヌス、戦死。ササン朝は西部の領土を奪還してローマと和平。帝国の威勢を回復。 |
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| アルダシール二世 Ardashir II |
379-383 | ||
| シャープール三世 Shapur III |
383-388 | ||
| バフラム四世 Bahram IV |
388-399 | ||
| ヤズドガルド一世 Yazdgard I |
399-420 | ||
| バフラム五世 Bahram V |
420-438 | エフタルの侵入、始まる。 | |
| ヤズドガルド二世 Yazdgard II |
439-457 | ||
| ホルミズド三世 Hormizd III |
457-459 | ||
| ペローズ Peroz |
459-484 | ペローズ、エフタルと戦い戦死。 ○Rock Reliefs in Taq-i-Bustan,including Investiture & Hunting Scenes |
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| カワード Kavad |
488-531 | 498-501、内乱によりカワードはエフタルに亡命。 518、中国・北魏に使節を派遣。 ○Large Cave in Taq-i-Bustan |
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| ホスロー一世 Chosroes I |
531-578 | 国政を改革し、中央集権を確立する。 西方ではビザンティンと戦ってシリアに侵入し、東方では突厥と同盟してエフタルを滅ぼす。ササン朝の全盛期を現出す。 553、中国・西魏に使節を派遣。 |
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| ホルミズド四世 Hormizd IV |
578-590 | バフラム・チョービンの反乱。 | |
| ホスロー二世 Chosroes II |
590-627 | 622、イスラム紀元。ムハンマド、メディナに移る(ヒジュラ)。 627、ビザンティンのヘラクレイオス帝に敗れ、暗殺される。 |
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| 帝国、混乱す。 630、ムハンマド、メッカを征服。 |
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| ヤズドガルド三世 Yazdgard III |
632-651 | 632、ムハンマド、死す。アブー・バルク、初代のカリフとなる。 634、アブー・バルク死す。オマル。第二代カリフとなる。 636、イスラム勢力の侵入、始まる。 637、カーディシーヤの戦いにイスラム軍に敗れ、クテシフォン陥落。 644、オマル暗殺され、オスマーン、第三代カリフとなる。 651、ヤズドガルド三世、メルヴで暗殺され、ササン朝滅亡。 |
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| ペローズ(卑路斯) Peroz |
中国・唐に亡命、王朝の回復を企てたが成らず、672死す。 |
ササン朝の故地ファルスは、かつてのペルシア帝国(アケメネス朝)の創業の地である。ササン朝はその文化の復興を目指した。
すなわち、ササン朝の美術は、アケメネス朝ペルシアの伝統を踏まえ、直前のパルティア帝国や同時代のローマ帝国・ビザンティン帝国の影響を受けながら、宮廷美術を中心としてイランにおける古典美術を完成し、ファルスからメソポタミアにおいて行われた。ササン朝の造形の独自性は、端的に言えば、装飾性と写実性の追求に求められよう。
長期にわたり安定して存在した強国であったから、周囲に与えた影響は大きい。領土として隣接しあるいは包摂していたアフガニスタンのバーミヤーン美術や中央アジアのソグド美術等には、直接の影響を与えている。中国・唐(618-907)の文化にもその影響が著しいが、それはササン朝の滅亡に伴いペローズ(?-672)ら多くの遺民たちが長安に亡命したことが、関係しているであろう。日本・奈良時代美術(645-794)に及ぼされた影響も正倉院御物等に如実に指摘しえるが、それはこの長安経由のものである。
ササン朝中心地にあった宮殿・神殿等を飾っていた筈の絵画遺品は、ほとんど失われて現存しない。
彫刻では、30点ほどの3-4c.前半の摩崖浮彫がファルス地方に遺り、ササン朝美術の代表的な遺品となっている。なお、クルディスターン地方のターク・イ・ブスターン
Taq-i-Bustan には、例外的に5c.末-6c.初の摩崖浮彫が遺る。
【作品】
ナクシュ-イ-ルスタム Naqsh-i-Rustam 摩崖浮彫
ファルスのペルセポリス北方にあるアケメネス朝及びササン朝の遺跡。
○「シャープール一世(241-272)の戦勝」
○「アナーヒター神によるナルセー(293-302)の叙任」
ナクシュ-イ-バフラム Naqsh-i-Bahram 摩崖浮彫
ファルスのビシャープール北西にあるササン朝の遺跡。
○「バフラム二世(276-293)の戴冠」
ナクシュ-イ-ラジャブ Naqsh-i-Rajab 摩崖浮彫
ファルスにあるササン朝の遺跡。
○「シャープール一世(241-272)の騎馬叙任」
ターク・イ・ブスターン Taq-i-Bustan 摩崖浮彫
○「アルダシール二世(379-383)の叙任」
○「ペローズ(459-484)の叙任」
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