跡見学園女子大学 *** 柳上書屋 *** Students' Top *** 中国絵画史辞典

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ようしゅうはっかい 揚州八怪 Yangzhou baguai

 18世紀に揚州(江蘇省)で活躍した8人の個性的画家。
 「怪」とは、「普通とは違う、びっくりするような」の意。

 揚州は、東西に流れる長江(揚子江)と、ペキンから杭州(浙江省)まで南北に中国を貫く大運河との交点にあり、昔から水運の要衝であった。
 清朝が最も安定していた乾隆(1736-1795)年間、揚州は塩の集散地として繁栄し、独自の都市文化を育んだ。豪商の中からは、馬曰琯{バエツカン}(1688-1755)・馬曰璐{バエツロ}兄弟のように、文人として活動し、文化・学問の庇護者として行動した者も出た。

 彼らの庇護を求めて、多くの画家たちが揚州に集まってきたので、近年ではこの画家たちを揚州派と呼ぶ。しかし歴史的には、その中から、
    金農(冬心、1687-1762?)
    黄慎(癭瓢{エイヒョウ}、1687-1768?)
    李鱓{リゼン}(復堂、1686-1762?)
    汪士慎(巣林、1686-1759)
    高翔
    鄭燮{テイショウ}(板橋、1693-1765)
    李方膺{リホウヨウ}(晴江、1695-1754)
    羅聘{ラヘイ}(両峯、1733-1799)
の八人を選んで「揚州八怪」と呼び習わしてきた。ただし、八怪の中に
    高鳳翰(西園・南阜、1683-1748?)
    閔貞{ビンテイ}(1730-?)
    辺寿民(1684-1752)
    陳撰
を加える説もあるほか、この時代の揚州画壇を語る上では
    華嵒{カガン}(秋岳・新羅)
を欠かすことはできない。

 「怪」の名に恥じず、彼らはそのいずれもが独自の個性を持つ画家たちである。
 すなわち、文人画における四王呉惲以来の典型主義から脱却して、八大山人(1626-1705)石濤(1642-1707)の画法を慕い、文字通り型破りであったところに特色がある。
 その作画態度や画風は、今日に至るまで、後の画家たちに多大の影響を与えた。

【参考】鶴田武良「揚州八怪」(『水墨美術大系 11 八大山人・揚州八怪』、1975)
    『金農』(『文人画粹編』中国篇 9)

【作品】
 金農・鄭燮・華嵒の作品は、それぞれの項目の下に掲げることとし、ここには彼ら以外の画家たちの作品をいくつか紹介する。
  ○李鱓「五松図」軸 (東京国立博物館蔵)
 ○李方膺「梅花図」冊 (1734年、京都国立博物館蔵)
  ○羅聘「蕉陰午睡図(金農像)」軸 (1760, 天津市芸術博物館蔵)
 ○羅聘「鬼趣図」巻 (香港/個人蔵)
  ○高鳳翰(1683-1748?)「草堂藝菊図」軸 (1727, 大阪市立美術館蔵)
 ○高鳳翰(1683-1748?)「指画」冊 (1734, 大阪市立美術館蔵)
 ○辺寿民(1684-1752)「芦雁図」冊頁 (1750, 南京市博物館蔵)


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