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書画に関する品等の一、「逸格」とも言う。
「逸」とは、枠組みにとらわれない、規範から外れた、などの意。
晩唐(836-906)の評論家・朱景玄は、その著『唐朝名画録』の中で、唐朝の画家たちの優劣を定め、それを神品・妙品・能品に分ったが、「その格外に常法に拘わらざるもの」すなわち「画の本法に非らざるもの」があるとし、末尾に「逸品」としてこれらの画家たちを記述した。
ここにいう「常法」「画の本法」とは、謝赫が唱えて以来行われていた画の「六法」であると思われる。すなわち朱景玄は、普通の画家たちについては「六法」を基準として品等したが、そもそも「六法」に依らない(あるいはこれに反抗した)一群の画家たちについて、基準から外れているのでそもそも優劣を定めることができないとして、「六法」から外れたという意味で「逸品」と分類したものである。
朱景玄が「逸品」に分類した画家は、李霊省・張志和・王墨の三人である。それぞれ出自も画風も異なるが、たしかに「六法」からはかけ離れた、奇矯な画風を示したもののようである。とくに王墨が得意とした「溌墨」画は、水墨画の誕生と関連しており、中国絵画史上画期的な絵画様式であった。
ただしいずれの画家にも現存遺品がなく、その具体的な様式は今日では知りえない。
北宋初の評論家・黄休復は、その著『益州名画録』(1005)の中で、唐末五代の益州(四川省成都)の画家たちの優劣を定め、それを逸格・神格・妙格・能格の4格に分った。黄休復は逸格について、「画の逸格は、もっとも儔{トモガラ}となし難し。規矩を方円に拙くし、精研を彩絵に鄙しくす。筆 簡にして形 具わるは
これを自然より得、楷模すべき莫きは 意表より出づればなり。故にこれを目して逸格と曰う」と記し、神格の上に置いた。
朱景玄と比べて見ると、「逸」の意味と位置づけが変化していることが明らかである。ここに、いわゆる逸品画風の唐末における流行・一般化と、新しい絵画思潮の隆興を見ることができる。
黄休復が「逸格」に分類した画家は、孫位ひとりである。性は粗野で、顕貴に交わらず方外と往還するなど、人格上の「逸」が記される。仏画のほか、山石・松石・墨竹等を得意としたというが、良好な現存遺品はない。
【文献】
朱景玄『唐朝名画録』
序
(前略)。以二張懐瓘『画品断』神・妙・能三品一、定二其等格上中下一、又分為レ三。其格外有レ不レ拘二常法一、又有二逸品一、以表二其優劣一也。(後略)。
(神品・妙品・能品、略)
逸品三人
王墨 李霊省 張志和
王墨者、不レ知二何許人一、亦不レ知二其名一、善二溌墨一画二山水一、時人故謂二之王墨一。多游二江湖間一、常画二山水・松石・雑樹一。性多疎野、好レ酒。凡欲レ画二図障一、先飲。醺酣之後、則以レ墨溌。或笑或吟、脚蹙手抹、或揮或掃、或淡或濃、随二其形状一、為レ山為レ石、為レ雲為レ水。応レ手随レ意、倏若二造化一。図二出雲霞一、染二成風雨一、宛若二神巧一、俯観不レ見二其墨汚之迹一、皆謂二奇異一也。
(李霊省・張志和、略)
此三人、非二画之本法一、故目二之逸品一、蓋前古未之有也。故書レ之。
読み下し文:
序
(前略)。張懐瓘{チョウカイカン}が『画品断』の神・妙・能の三品を以て、其の等格に上中下を定めて、又た分かちて三と為す。其の格外に常法に拘わら不るもの有るは、又た逸品有りて、以て其の優劣を表すなり。(後略)。
逸品三人
王墨 李霊省 張志和
王墨なる者は、何許{イズコ}の人なるやを知らず、亦た其の名を知らず。溌墨を善くして山水を画く、時人故に之を王墨と謂う。多く江湖の間に遊び、常に山水・松石・雑樹を画く。性は多に疎野にして、酒を好む。凡そ図障に画かんと欲すれば、先ず飲む。醺酣{クンカン}の後、則ち墨を以て溌{ソソ}ぐ。或いは笑い或いは吟じ、脚は蹙{ケ}り手は抹{ナス}り、或いは揮{ハ}き或いは掃き、或いは淡く或いは濃く、其の形状に随い、山と為し石と為し、雲と為し水と為す。手に応じ意に随い、倏{タチマ}ち造化の如し。雲霞を図出し、風雨を染成すること、宛かも神巧の若し。俯観するに其の墨汚の迹を見ず。皆な奇異なりと謂えり。
(李霊省・張志和、略)
此の三人は、画の本法に非ず。故に之を逸品と目す。蓋し前古未だ之有らざるなり。故に之を書す。
註:
○張懐瓘。盛唐(710-765)の書家、評論家。海陵(江蘇省泰縣)の人。開元(713-741)年間翰林院供奉。書に関する多くの著書のほか、『画断』(逸伝)があり、張彦遠『歴代名画記』(847)に逸文が見られる。ここにいう『画品断』はこれか。 ○何許の人なるやを知らず、亦た其の名を知らず。中国では、人々は血縁・地縁によって生きてきた。それを保障するものが族譜と戸籍である。それが、「どこの馬の骨か分からない」というのであるから、難民・浮浪者とは言えないまでも、意識的なアウトローであろう。旧来の秩序から逸脱して生きているわけである。安史の大乱(755-763)は、唐朝の盤石の基盤を揺るがし、既存の価値の崩壊を促したが、このようなところにもその影響が及んでいる。 ○溌墨。墨汁を筆に含ませて画面に塗り付ける通常の画き方とは異なり、硯に研ぎ溜めた墨汁を一気に画面に「溌ぐ(ばしゃあっとぶちまける、ふりまく)」ことを言う。これも、既存の価値大系への意識的な反逆である。朱景玄とほぼ同時代の絵画史家張彦遠は、「溌墨のごときは画に非ず」と言い切って切り捨てている(『歴代名画記』)。それと比較すれば、朱景玄はこのような新しい絵画のありかたの模索に対して、好意的とは言いきれないが、客観的に記述しているということができる。 ○王墨。あだ名だというのであるから、「墨絵書きの王さん」の意。 ○江湖。揚子江下流南岸の、湖や川の多い地域。 ○松石。初唐から盛唐のころ、「樹石(樹木と岩)」という組み合わせが人物画等にモティーフとして登場した(例えば各種の「樹下美人図」)が、中唐にはそれが「樹石」画としてジャンルとして独立した。「松石」とは、「樹石」の中からさらに「マツと岩」の組み合わせが独立したもの。 ○醺酣。軽く酔っ払うこと。 ○或いは。ここから何度か「或いは」が続くが、「或いは」は「ある人は」「ある場合は」「ある時は」「あるところは」などの意で用いられるので、文脈の中で区別して読み解いていく必要がある。 ○或いは揮き或いは掃き。揮と掃は、揮掃と熟語になればキソウと読む。もとはともに箒で掃除をする意だが、書道用語として「筆を動かして字を書く」こと、すなわち筆を動かす動作と箒を動かす動作の類似に基づく隠喩である。ここでは、それがさらに絵筆を用いて絵をかくことにまで含意がひろがっている。 ○其の形状に随い。「其の」とは、画面の上にでき上がった墨の濃淡のもやもやしたシミ。 ○倏ち。アッというまに。 ○雲霞を図出し、風雨を染成す。前文で山・石・雲・水を作ったと記すが、それらは雲霞や風雨にけむった、茫漠たるものであったのである。しかし結果としてそれはまるで神業のようにすばらしかったのであり、「墨汚(墨の汚れ、汚い墨)」とは見えなかったのであるから、芸術作品としての表現は達成していたのである。
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