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しゃい 写意 xieyi
絵画様式の批評語の一。
文字通りには「意を写す」ことを言い、画家の内面の画面への吐露を意味する。西洋語の「表出
expression」と近い。
元・湯垕{トウコウ}(14c.前半)は、「画を観るの法は、先ず気韻を観、次いで筆意・骨法・位置・傅染を観、然る後に形似をもってす、是れ六法なり。若し山水・梅蘭・枯木・奇石・墨花・墨禽等の翰墨に遊戯し、高人勝士の興を寄せ意を写せる者を看れば、慎みて形似を以て之に求むべからず。先ず天真を観、次いで筆意を観、あい対して筆墨の跡を忘れ、方に趣を得たりと為す」という。
具体的には、 蘇軾(1036-1101)の墨竹について「大抵、意を写して形似を求めず」といい、華光仲仁(11c.末-12c.初)の墨梅について「政に所謂意を写せる者なり」という(以上、『画鑑』)。
画家の側から、絵画制作に当たって「写意」を意識した発言として、倪瓉{ゲイサン}(1301-1374)の次の言葉が有名である。
「以中(張以中)、毎に余の画竹を愛す。予の竹は聊か胸中の逸気を写すのみ。豈に復た其の似ると非と、葉の繁なると疎なると、枝の斜なると直なるとを較べんや。或いは塗抹すること之を久しくして、他人視て以て麻と為し蘆と為すも、僕強弁して竹と為すこと能わず。真に覧る者いかんとするもなし。但だ、以中視て何物と為すやを知らざるのみ。」(「画竹に書す」、1368)
「僕の所謂画は、逸筆の草々に過ぎず。形似を求めず、聊か以て自ら娯しむのみ。」(「答張藻仲書」)
これらを要するに「写意」とは、画の「六法」のうち「気韻生動」を尊び、ことには「応物象形(形似)」を蔑む思潮であり、北宋以来文人の墨戯を中心に行われたものである。
ただしここにいう「気韻生動」とは、六法の提唱者・謝赫の言うそれ(画かれる対象の気韻が写し出されていること)ではなく、盛唐(710-765)以後の用法(画家の内面の精神性が写し出されていること)による。
なお今日の中国では、「写意」の語は「工筆」の対義語として、ある種の筆墨技法を指す言葉として用いられる。
すなわち「工筆」が日本語の精緻・細緻を意味するのに対して、「写意」は粗放・粗縦を意味する。たとえば、北宋・韓拙の「用筆に、簡易にして意全き者あり、巧密にして精細なる者あり」の説(『山水純全集』)に即して、前者は「写意」を、後者は「工筆」を指すものと言う。
したがって、南宋の梁楷・牧谿、明の陳淳(1484-1544)・徐渭(1521-1593)、清の八大山人(1626-1705)らはみな「写意」の画家である。また明の呂紀の着色花鳥画が「工筆」の画であるのに対して、林良の水墨花鳥画は「写意」の画である、というように用いる。
また、この意味での「写意」は「粗筆」と同義であるとするが、「粗筆」の語の本来の意味も全く異なるので、注意を要する。
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