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こうじん 弘仁 Hongren

    明・万暦38(1610)年-清・康煕 2(1663)年12月22日

 明末清初の僧侶、画家。俗姓は江、名は韜{トウ}、字は六奇、歙{ショウ}(安徽省)の桃源塢{トウゲンオ}の人。

 弘光元(清・順治 2,1645)年、清軍は渡江して南京(江蘇省)を陷れ、9月歙に入った。これより後、江韜は閩{ビン}(福建省)に逃げたが、この頃 名を舫、字を鴎盟と改めていた可能性があるという。
 順治 4(1647)年、鳳凰山報親庵(福建省建陽)の古航道舟(1585-1655)のもとで剃髮して僧となる。法諱は弘仁、字は無智・無執、号は漸江・梅花古衲。のち江南の各地を游歴したが、帰郷して西郊の五明寺に住した。

 ことに黄山を愛し、しばしばここに游んだ。山水・墨梅を善くし、倪瓉{ゲイサン}(1301-1374)の「蕭散体」をよく学び得たものと評される。
 新安派(安徽派。新安は安徽省歙県・休寧県の旧名)の祖、海陽四大家の一、また近年では黄山を縁にこの地域に来集した画家たちを黄山画派と呼ぶことがある。

【参考】J.ケーヒル「中国絵画における奇想と幻想」(『国華』978-980、1975)
    汪世清・汪聰編『漸江資料集』(安徽人民出版社、1984)
    曾布川寛「弘仁とその絵画」(『京都市立芸術大学美術学部研究紀要』27、1982)
    曾布川寛「漸江に関する若干の考察」(『泉屋博古館紀要』4、1987)

【作品】
 ○「竹岸蘆浦図」巻(1652, 京都/泉屋博古館蔵)
 ○「山水三段図」巻(1656, 上海博物館蔵)
 ○「竹石流泉図」軸(1659,天津市芸術博物館蔵)
 ○「江山無尽図」巻(1661, 京都/泉屋博古館蔵)
 ○「疎泉洗硯図」巻(1663,上海博物館蔵)
 ○「秋景山水図」軸(ホノルル美術館蔵)
ほか、多数。



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