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かんきゅう 貫休 Guanxiu

    唐・太和6(832)年-前蜀・永平2(912)年

 晩唐(836-906)から五代(907-960)初の僧侶、詩人、画家。
 字は徳隠、婺州{ブシュウ}蘭谿(浙江省金華)の人。俗姓は姜氏。幼にして仏門に入り、青年時代以降は長江中下流域を遍歴し、多くの文人墨客と交わった。なかでも鑑湖のほとりに隠居し、多くの溌墨系の山水畫家と交際していた方干(9c.中葉)との交流は、彼に水墨画への目を開かせたと考えられている。
 天復3(903)年、前蜀(891-925)の都・成都(四川省)に至り、前主(王建、在位891-918)より紫衣と禅月大師の号を賜わった。

 詩は、夢幻的な作風によって当時から著名であった。詩集『禅月集』が今日に伝わる。

 画は、羅漢画を善くし、「龐眉{ホウビ}大目」「朶頤{ダイ}隆鼻」の異貌を画き、「胡貌梵相{コボウボンソウ}」と称せられた。その異相は、夢の中で見たものを画いたと自ら言ったという。

 その水墨画風はきわめて品格を逸脱したものであったらしく、南宋・鄧椿は「画の逸格は、孫位に至って極まれり。後人往々益々狂肆を為す。石恪・孫太古(孫知微)は猶お之を可とすべきも、然るに未だ粗鄙を免れず。貫休・(趙)雲子の輩に至りては、則ちまた忌憚する所無き者なり。意高からんと欲して未だ嘗て卑しからざることあらずとは、実に斯人の徒か」と貶しめている(『画継』1167)

 現存する羅漢図はいずれも摸本だが、粗放な筆墨法を用いた水墨によるもの(東京国立博物館本など)と、精細な描写になる著色によるもの(御物本)との二系統に分れる。

 水墨系の羅漢図に見られる粗縱な筆墨法は、前述の貫休評を髣髴とさせるものがあり、このような画風は、中唐(766-835)の溌墨山水画に始まった逸品画風が、ジャンルを越えて「面貌細筆・衣紋粗筆」の人物画を生みだしたものと考えられている。
 ただし、これらの作品には貫休の款記等はない。

  なお、日本ではこれを「禅月様」と呼び、着色による穏やかな画風の「龍眠様」羅漢と対照する。

 しかし中国において貫休の羅漢といえば、御物本の図柄の方がきわめて著名である。こちらは、16幅のうち第11尊者・羅怙羅{ラゴラ}像に貫休による自題があり、広明元(880)年、故郷の蘭谿登高里の和安寺においてまず10身を作り、のち乾寧元(894)年江陵(湖北省)において残りの 6軸を写したことが知られる。これらは景昭禅師により信州懐玉山(江西省)にもたらされた。
 後世に至るまで制作され続け雨乞の祈祷に使われた懐玉山系の十六羅漢の摸本ないし石刻が、中国各地の寺に今日に伝えられている(たとえば浙江省杭州孔廟石刻本、すなわち孤山聖因寺旧蔵本)。御物本もまた、そのような目的をもって写された摸本の一であろう。

【参考】小林太一郎『禅月大師の生涯と芸術』(創元社、1947;『小林太一郎全集』所収)
    范志民『貫休』(上海人民美術出版社、1981)
    海老根聰郎『元代道釈人物画』(東京国立博物館、1977)
【作品】
 水墨系の作品に、
  ○「十六羅漢図」残欠3軸(大阪/藤田美術館蔵)
  ○「十六羅漢図」残欠1軸(東京/根津美術館蔵)
  ○「十六羅漢図」残欠1軸(東京国立博物館蔵)
 別系統の作品に、
  ○「十六羅漢図」16軸(東京/御物)
  ○「十六羅漢図」石刻16塊(孤山聖因寺旧蔵、浙江省杭州孔子廟収蔵)
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