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かくちゅうじょ 郭忠恕 Guo Zhongshu
?-北宋・太平興国 2(977)年
五代・北宋初の学者、画家。字は恕先、洛陽(河南省)の人。
7歳で童子科に及第。篆籀{テンチュウ}を工にす。後漢・乾祐(948-950)年間、徐州節度使・劉贇{リュウイン}(?-951)に辟せされて推官となる。同 3(950)年、後漢(947-950)から後周(951-960)への政権交替に巻き込まれ、佯狂・竄迹す。後周・広順(951-953)年間召されて宗正丞・兼国子書学博士、のち周易博士。
北宋・建隆 2(961)年、被酒して朝廷で粗相があり、乾州(陝西省乾県)司戸参軍に貶せらる。秩満ちて官を去り(一説に、酔いに乗じて従事を殴りほしいままに貶所を離れ、ついに籍を削り霊武(寧夏ウィグル自治区)に配隸せらる。その後流落し)、仕官を求めず、陝西・河南の間を游歴した。太宗(在位976-997)が即位するとまた召されて国子監主簿、太学において歴代の字書を刊定す。ますます酒にひたり、ほしいままに時政を批判し官物を鬻ぐ。ついに杖刑を科せられ、登州(山東省蓬莱)に配隸禁錮となる。途上、臨邑(山東省)に至り、歿す。
奇矯な性格の故に多くの伝説が伝えられているが、真偽は定かではない。
屋木林石を善くし、当時を代表する界画家であった。
一方、王得臣(1036-af.1115)『麈史』巻中には、「安陸(湖北省)に僑寓す。郡守其の画を求むるも能く得ること莫し。因りて■を以て館する所の寺僧に属す。時に其の飲酣を俟ちて之を請う。乃ち濃く墨汁を為らしめ、悉く以て其の上に溌ぎ漬し、亟かに携えて澗水に就きて之を滌い、徐に筆を以て、其の濃淡に隨いて山水の形勢を爲る」とあって、中唐(766-835)の溌墨との共通性を指摘している。
【作品】
○「雪霽江行図」軸(台北/国立故宮博物院蔵)
郭忠恕の作品とする確証はないが、北宋時代にさかのぼる第一級の界画作品。
のちに右方を切り詰められており、もとの図様は「雪霽江行図」巻(キャンサスシティ/ネルソン-アトキンズ美術館蔵)によって知ることが出来る。
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