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べいふつ 米芾 Mi Fu

   北宋・皇祐 3(1051)年-大観元(1107)年

 北宋末の書家、画家、鑑賞家。その生卒年には異説があるが、ここでは程倶(1078-1144)の説に従う。
 初名は黻{フツ}、字は元章、号は南宮・襄陽漫士・海嶽外史・鹿門居士など。子の米友仁(1074-1151)に対して大米と呼ぶ。
 祖先は西域の米国(マイムルグ)の帰化人といい太原(山西省)の籍、宋初以来の武官の家系、のち襄陽(湖北省)に移る。
 母が英宗(在位1063-1067)の宣仁皇后高氏(1032-1093)に仕えた縁で、1068年恩により入仕し、秘書省校書郎。のち永らく州県の官を歴任。1090年頃から潤州丹徒(江蘇省鎮江)の城東に海岳庵を営み、ここに住む。1103年入朝して太常博士。のち知無為軍、翌崇寧 4(1105)年また召されて書画学博士、子・米友仁筆「楚山清暁図」を上り、擢んでられて礼部員外郎。とかく言う者があり、罷めて知淮陽軍となり、ここに病歿した。

 性格が奇矯で米顛と呼ばれ、多くの奇行が伝えられており、しばしば狂人扱いされた。よく石を拝したのも、奇石の蒐集に意を注いだ故であるが、他面下級の役人として人を拝しなければならないことへの嫌悪があったとも言う。
 文物への執着が強く、古書・名画に遇えばかならず極力購得し、また人より古画を借りて自ら臨榻しては真本を留めて贋本を返すなど、かなり強引にその収蔵品を増やした。

 書は王羲之{オウギシ}(303-361)を学んで行草を善くし、蔡襄(1012-1067)蘇軾(1036-1101)・黄庭堅(1045-1105)とともに宋四大家の一に数えられる。蘇軾とは、1084年に流謫先の黄州に彼を訪ねて以来、生涯にわたる友人であった。

 画は山水・人物を善くし、自ら一家を成したという(蔡肇{サイチョウ}(?-1119)撰墓誌銘)。自らは「李公麟(?-1106)が右手を病んで三年、余ははじめて画いた」という(『画史』)が、李公麟が痺{リュウマチ}を病んで致仕したのは元符 3(1100)年のことであり、もしこれを信ずるとすれば米芾の作画活動は晩年に限られる。自信家である米芾は、「山水を以て古今相師とするするも、出塵の格有る者は少なし。よりて筆に信せてこれを作るに、多に煙雲は樹石を掩映し、細を取らず、意は便なるに似たるのみ」といい、また「更に大図を作らざれば、一筆の李成(919-967)関同の俗気も無し」と自負する(『画史』)。しかし元来寡作であったのか、鄧椿は字札は四方に流伝しているが画はめったに見られず、鄧椿自身は二点を見たにすぎないという(『画継』1167)
 趙希鵠{チョウキコク}(13世紀前半)によれば、「其の初はもと画を作ること能わず。のち目の見る所を以て日々漸く之を摸倣し、遂に天趣を得たり。其の墨戯を作るに、専らには筆を用いず、或いは紙筋を以てし、或いは蔗滓(キビガラ)を以てし、或いは蓮房を以てす。みな画を為るべし。紙は膠礬(どうさ)を用いず、肯て絹の上には一筆も作らず」といい(『洞天清祿集』古画弁)、また元の湯垕(14世紀前半)は「山水はその源は董源(?-962)より出で、天真は発露し、怪怪奇奇、古木松石は時に新意を出だす。しかして伝世は多からず」と記している(『画鑑』)
 今日、時に米芾の作品と称するものを見るが、いずれも偽託に過ぎない。

 別集に『山村集』があったが今日には伝わらない。書画関係の著に『宝章待訪録』(1086)・『書史』・『画史』がある。
 そのうち『画史』は、晩年に編まれた経眼・経蔵の絵画についての評論集。書中、米芾はいたるところで鑑賞家としての卓見を披瀝する。「李成、淡墨は夢霧中の如く、石は雲の動くが如く、巧多くして真意少なし」、「范寛、勢は雄傑なりと雖も、然して深暗なること暮夜晦瞑の如く、土石は分かたれず」など、今日の我々の中国絵画史理解の根拠を提供する記述を多く含む。ことに当時画壇の主流を占めていた華北山水画様式による山水画を技巧多くして俗なるものと批判し、江南山水画様式を完成した董源の特質を「平淡にして天真多し」「峰巒は出歿し、雲霧は顕晦し、巧趣を装わずして皆な天真を得たり。嵐色は鬱蒼、枝幹は勁挺、咸生意有り。溪橋漁浦、洲渚の掩映、一片の江南なり」と称讃し、このほとんど忘れられていた画家を高く再評価したことは、自ら創始した米法山水とともに、後世の文人画に大きな影響を与えた。

【版本】
  『画史』の旧来の版本には、
    明・毛晋(1598-1659)輯『津逮秘書』本
   清・陶珽重校『説郛』宛委山堂本
などがあり、また
    清・勅撰『四庫全書』(1781)
にも収められている。

  最近の評点本としては、
   于安瀾評点本(『画品叢書』所収、上海、1982) 
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