跡見学園女子大学 *** 柳上書屋 *** Students' Top *** 中国絵画史辞典

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ざつが  雑画 zahua

 中国絵画のジャンル。

 「雑画」は、「もろもろの対象物を入り混じって画いた絵画」の意で、既に張彦遠『歴代名画記』(847)の中にしばしば用いられており、「雑白画」「雑獣」「雑摯鳥」「雑禽獣」「雑英芳草」のような用例がある。のちに北宋時代までには、「雑画」のほか「雑禽」「雑花」「雑菜」「雑菓」「雑樹」などの詞が一般的に用いられるようになった。

 南宋に入り、鄧椿『画継』(1167)は、絵画を分類して仙仏鬼神・人物伝写・山水林石・花竹翎毛・畜獣虫魚・屋木舟車・蔬果薬草・小景雑画の8門に分かつ。その「雑画」の定義は必ずしも良くは知りえないが、分門の末尾にあって、それ以前のどれにもしっくりとは分類し得ないものを「雑画」と呼んだものと考えられる。
 背景としては、
  ① 徐氏体より受け継がれてきた、田舎における卑近な動植物を画く伝統、
  ② 晩唐の墨竹に始まり、南宋時代にさまざまな花卉を画くに至った墨花の流行、
  ③ 北宋末に始まった「小景」画の発展、
等々により、「山水画・人物画・花鳥画」という古典的な三大ジャンルには収まりきらない境界領域が増えたことが挙げられるであろう。

 「雑画」は、南宋末に牧谿(13c.後半)によって典型が作り出された。その「写生図」巻(1265、台北/国立故宮博物院蔵)「写生蔬果図」巻(北京/故宮博物院蔵)は、どちらも後の模本であるが、当時の「雑画」の様相を伝えてくれる。すなわち、個々には花鳥・虫魚・蔬果薬草のいずれかであるようなさまざまなモティーフを、1巻に画き並べたものである。
 このような「雑画」は、明代に沈周(1427-1509)によって復興されて徐渭(1521-1593)に引き継がれた。オーソドックスなジャンルから外れているが故に、素材の選択や表現の形式・手法などにおいて制約が少なかったので、画家はここに自由に自己の内面の感興を吐露することのできるジャンルを手に入れることになった。清初の八大山人(1626-1705)石濤(1642-1707)は、「雑画」の持つこの自由さを十分に利用し、彼らの創作の主要なジャンルとして取り上げた。八大山人の「山水花鳥図」冊(「安晩帖」。1694(69歳)、一部1702(77歳)。京都/泉屋博古館蔵)は、「雑画」の最高傑作の一である。

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