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えおん 慧遠 Huiyuan
東晋・咸和 9(334)年-義煕12(416)年
東晋の僧侶。雁門楼煩(山西省静楽)の人。
少にして許昌・洛陽に遊学し、六経を修め、老荘思想に通じたが、21歳のとき恒山に往き、道安のもとに出家、般若性空を学んだ。道安の教団は、各地を転々とした後、太元4(379)年 前秦軍のために襄陽に敗れた。その後も各地を転々とした慧遠は、太元
6(381)年廬山(江西省九江市)に入り、東林寺を建ててここに住し、これより30余年、亡くなるまで「影 山を出でず、迹 俗に入らず」という生活を全うした。
廬山に定住した慧遠は、402年、劉遺民・雷次宗・周続之・宗炳(375-443)ら18人の僧俗の知識人と共に念仏結社である白蓮社(蓮社)を結成、阿弥陀浄土の法門を開き、後世浄土宗の始祖として尊ばれた。白蓮社の名は、寺の傍らの池に白蓮を植えたことに基づくという。
南朝の宮廷や名士の帰依を受け、廬山は南朝仏経の聖地として、鳩摩羅什{クマラジュウ}Kumarajiva(344-413)を擁した北朝の長安と並称せられた。
さて、廬山に入った慧遠は、以後足は山を出ず、客を送るにも寺前の虎溪を以て境としていた。あるとき、ここを訪れた陶淵明(陶潜、365-427)・陸修静(?-477)と歓談し、かれらを送るにあたって知らず知らずのうちに虎溪を渡ってしまい、三人して大笑した(『蓮社高賢伝』)といい、この故事は「虎溪三笑」の名で、のちに儒仏道の三教一致を象徴する絶好の人物画の画題となった。しかし、もとよりこれら三人は活躍年代が合わず、この故事自体、三教一致が唱えられ始める北宋以降の創作であろうとされる。
北宋・李公麟(?-1106)に「白蓮社図」の制作があったらしく、南宋時代に作られたその摸本・模倣作と思しき作品が数本伝世する。また「虎渓三笑図」は、南宋院体画様式に由来する作品(台北/国立故宮博物院蔵)が伝存する。
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